昭和42年01月10日 朝の御理解
今朝私はこういうお知らせを頂いて目覚しのおかげを頂いた。私の耳元で誰かが大きな声で「米一万俵」と頂いた。はっと思うてから目が覚めたら、丁度いつも起こして頂く時間でした。どう言う様な意味の事だろうかと私思うたんです。それでそこに控えておる間に、米一万俵と言う事はどういう意味だろうと思うて、考えてみたんです。例えば米一万俵と言う事を金銭に換算いたしますと。
丁度現在の「配給米?」のあの、農家の方で出されるのが7千何歩だそうですから、まぁ7千円に仮定いたしまして、7千万と言う事になります。大した事ですよね、椛目の御造営が7千万。一人で例えば椛目に100名の、まぁ実力者があると致しまして、その一人一人に割り当てますとですね、一人どがしこになりますかね。70俵ですか。十俵で7万です、百俵で70万千俵で700万、一万俵で7000万ですね。
ほお大した事だと思うて、で私その米一万俵と言う事はどの様な意味だと。例えば久留米の初代などはあの大変先生が、まぁ難儀を感じておられた時分に神様から800俵の徳を授けると仰っしゃられてから、そのお声に奮い立たれたと言う事で御座います。その時分にお米が一俵10円。先生が持っておられた借金が8千円、当時の金で丁度米ねけれども久留米の初代の場合には、徳を授けるですけれども。
まぁ椛目の場合では徳と頂かれず、ただ米一万俵とこう頂いた。だから私は米一万俵の、まぁ信心だと言う事だと思うた。一万俵の信心が出けて、言うならまぁその100分の1に、まぁどれだけになりますかねぇ、70俵ですか、700俵ですか。もうまぁ徳と言う様な事にでも、まぁ言うならば徳を換算するならそう言う事にでもなるのではなかろうかという風に、まぁ感じたんです。けれどもどちらにしても大変な事だなと言う事を感じるですね。昨夜御祈念を終わらせて頂きましたら。
二番目の娘愛子がここへ出て参りましてから、今朝からこう言う様なお知らせを頂いたと言うて、まぁ容易ならないそのお知らせなんですね、帰って来て夕べお届けさせて貰いました。お声でですね頂いておる事が。霊感の不徳と頂いた。霊感、霊感は。というのは不徳という意味だかどうか分かりませんけれども、霊感の不徳と頂いた。霊感ていうものは、不徳と言う事は、お徳ではないと言う事だとこう思うですね。非常にこう霊感が鋭い人がありますね。
例えば予言的な事を致しましたり、ね、信心がなかってもあの霊感に非常に優れた人があるんです。よく千里眼的な人がですね。これは徳じゃないて。御神徳というものはそんなものではない。私共が目指しておるのは徳である。ただ神様からお知らせども頂くと言う様な事がお徳と思うたら間違いだと。次にこんな事を頂いた。これはお声ではなくて、その実際にお夢の中で頂いておるのが。墓場いっぱいが大きな便所だと言うんです。もう言わずと知れた、お便所と言う事は御結界と言う事でしょう。
言うなら椛目の言うなら御結界をです。皆が墓場のように感じておると言う事なんです。墓場と言やぁ昔から恐い所とこうされております。成程なぁ本当にあの、久保山先生のああした事故があって、まぁ昨日が丸5日になりましたから、昨日は簡単なお祭りを奉仕させて頂いて、昨日は私が一人で参りましたです。あちらでも色々なお話をさせて頂いた事でございますけれども。
ほんに私の信心のまぁだここにこうなる前の一年ほど前当りから付いて回っておったのが久保山先生、秋永先生それから久富建設の正義さんで御座いました。私を日本一の旗をしたてた桃太郎とこう仰っしゃった。神様その当時のお知らせに。久保山先生をキジと、秋永先生を猿と、久富さんを犬だと。もう本当に矢張り影の形の様に私の信心に付いて回った人達で御座います。
成程よくよく考えてみますとそういう御用をそれぞれがしております。その例えば3人のそのキジが、例えば亡くなった訳でございますけれども。本当にこの御造営が始まってから、ずっとこう思うてみますと、御造営その事においては大した事故という程の事故はなかったけれども、銘々の個人、家の上には大変な矢張りそれこそ身の毛のよだつような事故が3人の上にもあっておったと言う事でございますね。
第一番にお許しを頂いてあの、久住の方の道路建設の為に、久富建設がおかげを頂きました時なんかは、あの大きな石がですね。高い作業中に崖から転がり落ち出したんです、コロゴロゴロ。もうそれこそもう、本当にもうそれこそ玉の消えるごとビックリしたと言いますもんね正義さん。そして駆け下りて行って見た時には、その人家の家に落ちて、屋根をほいで梁を折って、そして座敷に落ちた。しかもそこの座敷にゃ子供が寝せてあった。もうちょいとだけでも、身の毛がよだつ様な事でございました。
これがまぁ言うならば始りでしたね。次は皆さんもご承知のように、秋永先生とこの親子3人がもう死ぬか生きるか、それこそ自動車がめちゃめちゃに潰れてしまうと言う様な大事故に会われました。そしていわば今度の久保山先生の、もうこれは言うなら致命的だ。致命的というのが、もう本当に取り返しの付かない大きな事故で御座いました。神様の目からご覧になれば、ね、
久保山一家の事から言えば、ね、椛目全体の事から言えばそれは大変な意義の深ぁい事故では御座いましたに致しましてもです、成程こう例えば私の周囲にある3人が3人共事故に会うのですから、こう言う事になるのですから、皆が矢張り今まで怖がらなかったのが不思議だと思うくらいです。それから次に私の取り巻きというか、周囲というか総代さん方その事を思うて見て下さい。
第一高芝さんが、ああした追突事故に会われました。この頃は息子さんがやっぱり追突されました。そしてその自動車が燃え上がると言う様な大変な事でした。勿論それは傷一つ高芝さんの場合でも、今日のなら正雄さんの場合でも御座いませんでしたけれども、考えますと本当にゾッとする様な事で御座います。長瀬さんなんかは、奥さんが本当に、もう死ぬか生きるかと言う様な大病に会われました。
久富繁雄さんの所は、矢張り国雄さんが一ヶ月も、例えば入院しなければならん、これも矢張り、もう本当にビックリする様な追突事故で御座いました。堤さんね。いわば総代さん達の上を拾うてみても、そう言う事で御座いました。ね、成程椛目の神様っちゃ恐い神様だなと、例えば今まで言うて来たり、思うて来なかった方が不思議なくらいにあるのです。けれどもいわば御造営も九分九厘、成就というもう昨日、稔さんが申しておりましたが。善導寺の2番目の息子です。
東京から父の死を聞いて駆けつけて参ります時に、ここで飛行場からここまで直行して来ております、姉さんの和子さんと二人で。丁度朝のあの曙に向って福岡からこちらへやってくる時です。もうそれがもう何とも言えん神々しい。父の死は無駄じゃなかった、父の死は無駄じゃなかった。椛目の曙の為のそれであったという、その気がしたと言うのです。だからここでお届けした事がそうでした。椛目の曙に先駆けて父の死の、あったと言う事を、お礼を申し上げております兄弟で。ね。
いつの御理解で御座いましたかね。ある百万長者の一人娘に婿取りの試練が試験をした。沢山な男性がその我こそその、百万長者の跡取りになろうと言うので集まって来た。所が皆その失敗だ。最後に残った一人の青年がそれこそわれはと言うので、まぁ次々とその試練に合格していった。そこで一番最後の所のいわば試験に当たります所が、それこそ身の毛のよだつ事ばっかりであった、ね。
それでそこん所を通り抜けて行った所が、そこの娘であるという人が出てきてから、私の婿としてまたここに世継いで下さる人として、恐らくは貴方が残られるだろうと。勝ち抜かれた、けれども一緒になるからには私の、例えば趣味私の性情というものを知っておいて頂かなければなりません。つきましてはと言うて、その娘の部屋に案内された。実は私にはこういう趣味が、言うならありますのですよと言うて、行ってみて驚いた事はもう、それこそ骸骨が累々としてからその、家の中に積み上げてあった。ね。
積まれたりこうぶら下げてあるのもある。そしてその骸骨をですね、ポキッとおしょっては食べる。もうそれこそ身の毛のよだつ思いがするんです。そしてどうぞ貴方も一つ召し上がれと言うてやった。それこそもうガタガタ震えるようだったけどグッとそれを辛抱して、ここで「 」になったら大変だというので、それを食べた所が、何とそれは全部が氷砂糖で出けておったという話。
この世には恐い物はない、私共の行く手には決して、困ったと言う様なものはない。ね、困ったと言う様な場合は、私共に本当に最高の知恵を下さろうとする、神様の働きである、ね。恐いと思うておってのは、私共に神様が愈々力を与えて下さろうとする所の、働きであると教えて下さいます。ね、今なら椛目の御結界は、言うならそうではないのだけど、皆は墓場のように感じておるのではなかろうか。
昨日も私最後のお届けをさせてもらう時に、いつもここには180名からの、普通な日でお届けがありますけれども、昨日はやっぱり150名ぐらいしかございません。今までかつてない事で御座います。矢張りその恐いと思うておる。はあもう椛目椛目ち言うちこれは行かれんばいと言う様な事も、本当最近始まって今日こそ皆さんこうやって集まっておられますけど、昨日などは朝の御祈念が5名でした。
勿論昼から次々と、昨日も随分お参りがあったなぁと私は思うておったんですけれども、やっぱり締めくくって見ると、いつもより30名から少のう御座いました。ね、そこで私はその事をですね私共がそのおかげを頂いて行きます為にです。成程とにかくその一万俵からの信心というか、おかげを頂くああいうおかげを頂いておるので御座いますから、ね。とてもとても、神様がお試しなしに、頂けれるとは思われんのです。
椛目全体に対する所の、力付けて下さろうとする働きと同時に、矢張り御試練であるお試しであると言う事を、いわば最後のお試しが、久保山先生の死であったと、私は思うのです。その試練を本当に有り難く乗り超えてそれを、力にして行く所に、神様の願いというのはあるのです。それでです私はその事を神様に昨夜お届けさせて頂きよりましたら、いわば松竹梅の梅と竹を頂きました。
はぁ松が欠けておるんだなぁと。松と言やぁいわば桂先生の御信心と言う事だけではなくて、松という字を分解いたしますと公の心。木は心とそれに公という字が書いてある。と言う事はです、自分と言う様な小さい事は考えるなと。こう大きく言うなら道の発展の為に。もう少し小さく言うならば椛目全体の総助かりの為に。椛目の本当の全体のいわばこの一万俵と、今日私が頂いた一万俵の信心が一万俵の徳にもなる為の、いわば信心修行であるという事。この大きなこの松がかけておるんだと。
大きな心を持てと、大きな所に身を受けよと、言う事であると私は感じました。それが出けた時、初めて目出度いという松竹梅のおかげが受けられるんだと言う事を実感するのです。ね、それは心ない人、信心の薄い人は、本当にちょいと椛目と言う所は恐ろしい所だと、それこそ墓場のように思うかも知れません。ね、けれども只今私が順々と、順々といちいち成る程、そもそも御造営の始まる頃からの事を申しましたようにです。けれども、これは大した事なんだと。
神様の願いというものは、椛目にどういう深い大きい願いを持ってかけられておるかと言う事を思わずには参りません。それを銘々がです。例えば一万俵のそのお米の中からです。皆さんが例えば、ね、10表のお徳を受ける人もありましょう。100俵のお徳を受けて行く人もありましょう。ね、そして椛目全体の徳とも力ともならせて頂く、言うならば御造営は試金石だ、と言う事なのです、ね。
私共の信心の行く手には恐い物もない。困ったと言う事も、ただ困った様に見えておるだけであって、実際は困った問題ではない、ね。今朝から私そう言う事を頂いて今朝の、昨夜から子供が頂いておる事柄、ね。それから私今朝から頂いた事を総合してみると、今朝のような御理解になるので御座います。皆さんはやっぱり、今朝はこれだけ沢山の人がならお参りして来ておりますから。昨日の例えば朝の御祈念、まぁ最近のここ始まって以来、初めてで御座いましたでしょう。
朝の御祈念に5名。もちろん外来の方ばかりで5名でした、ね。矢張り神様の、昨日の御理解を下さる事の為の御都合でもあったろうかと、こう思うので御座いますけれども、ね。愈々奮い立たせて頂いて、ここのところを言わば、この神様の信心に身が入って来ると必ずお試しがありますぞと、教祖の神様は御晩年の頃はこの事だけを、皆の信者に参って来る信者にお伝えになったと言う事で御座いますが。信心に身が入って来ると、言うなら本当のおかげを。
おかげを頂く為には、そのおかげの前にはですね、必ずそのおかげを頂きとめる為にはです、それこそ身の毛のよだつような、けれども後から考えてみると、あれもおかげであった、恐い事ではなかった、難儀な事ではなかった。みんなこういうおかげを下さる事の為であったと言う事になるので御座います。ようもようも皆がです。ね、私の周囲の久保山先生、秋永先生、正義さんと。それから今言う総代さん方を始め、椛目の主立った方達の上に次々と起きて来た。
例えば身の毛のよだつような問題もです、後から考えて見るとです恐い事でもなかった。成程ああして神様が力を下さろうとしておったんだと言う事が、段々分かって来られる事であろうと私は思うので御座います。そしてようもあの試練を乗り越えたもんだと、それこそ神様にも喜んで頂き、自分達もおかげを受けて有り難いと。愈々信心に邁進させて頂く。今日は愈々私共が今ここに賭けておる所の大きな心、公の心。
私一心とか私一家とか、と小さい事を言わずにです、ね。教団の為に道の為に、椛目の愈々将来のおかげを頂く事の為にです、私共の信心が進められるならばです。その矢張り椛目の信心、椛目の中にある私と言う事に、なるので御座いますから、結局は私自身が銘々がおかげを受ける事なのです。大きな事で力を受けて行く方が、私は神様にも喜んで頂けれる。ね、神様の御悲願に、ね、神様の願いにお応え申し上げる信心とはそう言う様な信心ではなかろうかという風に、まぁ思うので御座います。
どうぞ。